5th AL「Catch Ball」(1990)

放物線の先にあるもの

ポップソングに対して、文学的なアルバムであると言ってしまうと、ちょいと堅苦しいかもしれないのですが、あえて断言させてもらいます。永井真理子の5枚目のスタジオアルバム『Catch Ball』は文学であります。リアリズムに徹した私小説であります。村上春樹的に語るなら、社会に対してのデタッチメントをコミットメントへと移行すると言いますか、膨れ上がっていく現実と折り合いをつけるための処方術とでも言いますか、そんな11のショートストーリーが寄り集まった作品なのです。

佐野元春氏が "White Communicatin-新しい絆-" で<I've got a White Communication 君に会いたい>と散文的に語り、陣内大蔵氏は "好奇心" で<好奇心はとまらない 君のこと知りたい>とモダニズム的に希求心を見せたりする。表現の違いはありますが、どちらも同じように他者へのコネクトを猛烈に求めていて、本人作詞の "23才" でも<誰かと出会いたい 苦しい出会いでもいいよ>と、ここでも他者へのリレーションシップが求められているのです。それは真理子さんがいよいよマスデモクラシーの中心へ飛び込んでいくことを腹に決めた現われでした。その覚悟を象徴するのが "ミラクル・ガール" であり、テレビアニメの主題歌という、それこそメディアのど真ん中に身を賭していきます。その結果は、みなさんがご存じの通りです。

また、ジャケットにあしらわれているグラフィック・シンボルが象徴するように、このアルバムでは具体的な「生活」が多くの楽曲で描かれています。その背景にはバブル時代のOL文化というものが見え隠れしてくるのですが、それでもまだまだ女性の社会進出が間もない頃のお話で、煌びやかに見える都会の暮らしの影では、なかなか表には見せられない寂しさや報われなさが、靴の中の小石のように居心地の悪さを助長していたりしました。"Way Out" での<出口はいつも見えない 探し始めたとき見つけ出せる>や、"キャッチ・ボール" の<涙の理由(わけ)に素直になれば 新しい>、"レインボウ" の<わけもなくつらいとき 知らんぷりしてちゃ 忘れ物していくよ>など、女性に限らず、社会の厳しさに揉まれ疲弊している人たちへのエールが、アルバムの随所でそっと贈られているのです。それは歌い手である真理子さん自身への投げかけでもあるのです。

Catch Ball

Catch Ball

  • 永井 真理子
  • J-Pop
  • ¥2139

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