9th AL「KISS ME KISS ME」(1995)

乙女心とロックンロール

原点回帰とは少し異なると思いますが、姐さんが再びショートヘアにしたというのが、とても大きなテーマになってくる作品、それが9枚目のスタジオアルバム『KISS ME KISS ME』です。

前作『Love Eater』の後、ふっと思いついたように2枚組シングル・コレクション『Birth to the Future ~25 Singles~』を真理子さんの誕生日にリリースしていますが、このベストアルバムで根岸さんもヒスママもさらりと一緒くたにしたというのが、ここまで垢抜けたアルバムを制作するに至ったひとつの要因なのかもしれません。とは言え、楽曲自体のアレンジは『OPEN ZOO』以降の系譜であり、どちらかというとミックスダウンをJ-POPのそれに近づけたという印象です。

全12曲の内、"おいでよSmile World" 以外のほとんどの曲が恋愛模様を歌ったもので構成されていて、これがとにかく出色。今までのカタログを並べてみても、ここまでナガマリ作品の中で恋愛ソングばかりが目立つアルバムも珍しい。そのためかどうかはわかりませんが、女子ウケのいいアルバムでもありまして、それこそボーイッシュとか白Tにジーパンとか中性的なイメージが強かったナガマリが、ここにきてまさにガールズポップの女王の座に君臨するアーティストになります。そういう意味では、前作や前々作に比べると非常にポピュラリティであり、男性的でちょいとマニアックなロックサウンドから、女性的で華やかなポップソングへと移り変わっているのです。

中でも "暖かい雪" は、作詞作曲が真理子さん単独という初の楽曲になっており、これがまた名曲なんですよね。<慣れてゆくことで幸せを落とさないように 横にいる意味 見つめているから>と、半径5メートル以内のなにげない日常の、見落としがちなわずかな心の機敏をポツリと入れ込んでくる。どこか半自伝的でもあるのですが、そう思わせてしまうストーリーテリングでもあり、リスナーは好きなように解釈することができてしまう。

ただ、ここまで恋愛ソングだらけになってしまうとちょいと食傷気味になり、それこそ亜伊林さんのあのヒリヒリと自分を鼓舞するような応援ソングが恋しくなってしまうというのもありまして、失恋から立ち直っていく様を描いた "DON'T GIVE UP HEART" や "飛べないBig Bird" の、それっぽい一小節にしがみついては、無理やりナガマリチックを味わっていた部分も正直あったりした作品でもあります。

8th AL「Love Eater」(1994)

無敵で最強の大名盤

1993年7月31日(土)に開催された2度目の横浜スタジアム公演。芸能的な面が取り沙汰されがちなこのライブですが、この日のハイライトは間違いなく "ルーシータクシー" でした。公演の1週間前に発売されたばかりのシングル "We are OK!" のカップリング曲ですが、ファンキーなリフがライブで披露されるや会場がモンキーダンスの渦となり、ナガマリ・ネクスト・ステージの祝祭と化したのです。

そこから "my sweet days" に "Cherry Revolution" とシングルが発売されていくのですが、そのカップリング曲が "DUNK! DUNK!" に "Katcho Bee-Bee-Boo" と、もう往年のロックへのリスペクトが半端ないんですよね。レッド・ツェッペリンやディープ・パープルはもちろん、オールマン・ブラザーズ・バンドブラック・クロウズなど、ブルースを基調にしたサザンロック勢がいかに真理子さんに影響を与えていたかが如実に表れた作品、それが8枚目のスタジオアルバム『Love Eater』なんです。

というか、"We are OK!" がそもそもの出発点ではないかと。もちろん、アルバムには収録されていない楽曲ではありますが、このシングル曲を制作したことで真理子さんは以前の永井真理子を完全に吹っ切ることができたのではなかろうかと。<ココロの虫歯が夜しくしく痛んでも ダメな時はダメ また元気になるさ>と、<SMILE 心配しないで歩いて行こう BE HAPPY WITH ME>と、このような心境に至ったのは前作『OPEN ZOO』のコンサートツアーでの経験から得られたもののような気がするのです。ファンの方たちやバンドメンバーと好きな音楽を好きなように好きなだけ楽しむことができる。当然のように "ZUTTO" や "ミラクル・ガール" を求める声もある中で、アッカンベーができるようになった。"La-La-La" で<丸い地球を歩き疲れて><靴と心が0センチまですり減った>そんな疲弊感から、アンサーソングである "タンバリンをたたこう" で、<感動してしてもらうことばかり考えて 一人カギをかけ 髪をかきむしってふさぎ込む>ような生活を抜け出し、<We are happy to be here with you>と、一緒に音を奏でていこうと。アーティストとして、暗いトンネルを手探りで抜け出した先の光、その無敵感がこのアルバムを大傑作にしているのです。

7th AL「OPEN ZOO」(1993)

時代の潮目

1992年と1993年のヒットチャートを見比べると、顔ぶれが明らかに一新されています。その中でも大きな特徴として挙げることができるのが、1992年まではテレビで流れていた音楽が主流、1993年からは有線で流れていた音楽が主流になっているということ。これはどういうことかというと、みんなテレビを追い越してしまったんですよね。テレビという媒体が最新ではなくなってしまった。新しい音楽は、街中で流れている有線が最先端だったんです。リスナーからのリクエストが時代を作り上げた、いわゆるカウンターカルチャーの始まり。

永井真理子というタレント(あえてそう呼ばさせてもらいます)はテレビの人でした。アニメの主題歌を歌い、バラエティー番組のレギュラーを務め、CMやドラマにも出演している。お茶の間を楽しませるマスコット的な存在であり、かつ歌も上手いし、キュートだし、小さいし、よく笑う人だし、眉毛はハの字になるし。そんな、朝のごみ出しの時にいつも笑顔で親しげに挨拶をしてくれていた隣のお姉さんのような方が、ある日突然、ごみを出すだけなのにフーテンのような取り巻きを何人も従え、本人もブーツカットをカランカランさせながらボヘミアンな感じで挨拶をしてくれるお姐さんに変貌してしまった。そんな開いた口が塞がらない驚愕の朝のような作品(まったく意味がわかりません...)が、7枚目のスタジオアルバム『OPEN ZOO』であります。

初のセルフプロデュースということで、この作品はアーティスト永井真理子のファーストアルバムであるとも言えます。どんなアーティストでも、ファーストアルバムというのは粗削りなもので、『OPEN ZOO』も御多分に漏れず、グランジを基調としたオルタナティブサウンドプロダクツが展開されています。闇夜を切り裂く豪快なギターリフで幕を開ける "大きなキリンになって"、ロック的なダイナミズムでカマチョな女子を一蹴してしまう "GONG!"、目が覚めたらGになっていた "HELP" と、怒涛のラウドな世界が繰り広げられます。その屋台骨を支えているのが淳さんのドラムで、とにかくドラムのトラックダウンが素晴らしすぎます。

その反面、"卒業してもサヨナラしても遠くでも" や "南へ"、"あなたがいない" など、不思議とファンやリスナーの恋愛体験に直結している楽曲も多いです。これは、メロディもさることながら、真理子さんの描く歌詞がよりパーソナルな部分を含むことでリアリティを増した結果だと言えます。

3rd BEST「yasashikunaritai」(1992)

自律神経を整える歌

歯医者さんの待合室のBGMといえばクラシック音楽。それもショパンモーツァルトやバッハなどのピアノ曲が多いですよね。その理由は、これらの楽曲は聴くだけでα波が出やすくなり、リラックスした状態で順番を待つことができるからと言われています。かつヒーリングやストレス緩和の効果もあり、緊張や不安を和らげることもできると。特にモーツァルト全般やバッハの "G線上のアリア" は効果が高いそうです。

で、ナガマリ・バラードですわ。姐さんの歌声にα波を出しやすい効果があるかどうかはわかりませんが、ただ、このバラード集に耳を傾けた時、ヒーリングであったりリラックスであったりを感じることは、まあ、あるのではないかと。ピアノ曲であったり、アコギ曲であったり、もともとのアレンジの良さもありますが、やっぱり一番に魅力的なのは真理子さんのボーカル。<泣きたい日もある>と、ピアノと共にいきなり歌い出しから始まる3枚目のベストアルバム『yasashikunaritai』は、CDジャケットの眼差しのように、こちらへまっすぐに伸びてくるナガマリ・ボーカルを味わうことができる珠玉のバラード・セレクションになっています。

辛島さんや前田先生に藤井さんや北野さんが編み出すメロディの良さは言わずもがな、そこに真理子さんのボーカルが際立つのは、言葉の発音の良さ、特に日本語の発音の良さが歌声としてスッと耳に入ってくる心地よさがあるからと言えます。しかも、曲の冒頭、歌い出しにその特徴が顕著にあらわれています。<泣きたい日もある><ほどけた靴ひも><雨が降り出した><ため息のたびに何かが乾いていく気がして><初めて君が涙を見せた>。どれもパッと情景が目の前に浮かび、不思議なことに、言葉そのものにパワーを感じることもできるという。「靴ひも」なんていう素朴すぎる単語が魅力的に響き、普通の会話すぎる「雨が降り出した」という述語が、どこか素敵な体験のように感じられる。これは、真理子さんの天性の声質もありますが、メロディと言葉のバランスをとても大事にしながら歌っているからこそ、ナガマリ・バラードが心にさらりと響いてくる理由なのではなかろうかと。さらに、8枚目のシングル "TIME -Song for GUNHED-" のカップリングに収録されていた "あなたを見てると" のスケール感といったら、どうですか。<美しいこの世界>を一瞬で感じることができる。そんな曲を歌えるシンガーは、なかなかいないですよね。

6th AL「WASHING」(1991)

解離性同一性障害の末路

1991年という年はとんでもない年で、多くの方が語っているように、名盤と呼ばれる作品が大豊作だった年であります。あのアーティスト、このアーティストが次々と傑作を世に送り出し、毎週のように塗り変えられていくヒットチャートの上位では、今週はロック、今週はダンス、今週はポップ、今週はヒップホップと、目まぐるしいほどに新しい音楽がラジオやテレビやレコードショップで流れ続けました。というのは、洋楽での話。この'91年のビッグバンが日本に波及してくるのは、2年後の'93年からになります。そう、ナガマリでいうと、あの作品のことです。

どんなアーティストにも過渡期というのは必ず訪れるもので、そこを避けて通ることはどうにもできないもので。人気を過熱させていくアイドル性、表現の欲求を満たしていくアーティスト性。この2つは水と油で、絶対に混じり合うことがない。そんなニッチモサッチモいかない状況を、そのまま作品にしたのが6枚目のスタジオアルバム『WASHING』ではないかと。CDジャケットがそれを端的に表しています。真理子さんの後ろにいるのは、自分の中のもう一人の自分なのか、ついて回る世間からのパブリックイメージなのか、見る人によってその解釈はどちらにも転がります。そして、真理子さんが洗い流したかったのは、どちらなのか。

と、言いながら、アルバムの内容が悪いかというと、これが結構なロック・アルバムになっておりまして、"Keep On Running" から "私の中の勇気" までの流れは、それこそ当時のバンドブームに比肩するサウンドが展開されています。打って変わり、"こんな人生もありよ" から "夏のはじまり" は、アイドル的なポップソングとなり、その甘ったるい世界を打ち破るかのように "Say Hello" のどす黒いスクリームが渦を巻いていく。そして、その先には "ピンクの魚よ" と "揺れているのは" の崇高な世界が拡がる。CDジャケットがアーティストの二面性を表しているように、アルバムの内容も引き裂かれそうな程の二面性にあふれていたりするのです。この二項対立の構造は、先行シングルで発売された "ハートをWASH!" と、カップリングの ""OK!"" にも表れています。そして、「ジキル博士とハイド氏」の結末と同じように、金子さんプロデュースのスタジオアルバムは、この作品がラストとなってしまいます。

2nd BEST「Pocket」(1990)

キラキラとした自由時間

あの頃を思い返してみると、ベストアルバムって年末行事だったんですよね。今では年がら年中ではありますが、その昔は季節ものだったりしていて。だから、予約をしていた初回特典のベルトポーチ付きCDを買いに行った時も、レコード屋さんの中がクリスマスな感じになっていたのをすごく覚えています。もう、ホント、このアルバムは姐さんからのクリスマス・プレゼントだなと。自転車のカゴに、いつもよりちょいと特別感のあるCDが入った袋を入れて、ルンルンと足早に家路を辿った時の気分がとても最高でした。

この2枚目のベストアルバム『Pocket』を要約すると、もう "ZUTTO" 以外のなにものでもないわけでして、1曲目が "自分についた嘘" って最高じゃない?とか、"Mind Your Step" から "Higher In The Sky" までの流れって渋すぎない?とか、曲うんぬんよりも歌詞カードに載ってる真理子さんの写真がどれも素敵すぎてヤバくない?とか(自分ね、ライダース着てちょっと俯いてるやつが好きです。姐さんの顔が前髪で隠れてるとこがカッコよすぎてw)、そういった類のものも全て "ZUTTO" にもっていかれてしまうのです。

そもそも "ZUTTO" という曲は、なぜにここまで大衆性を獲得することができたのでしょうか。人気テレビ番組とのタイアップという答えが一般的ではあると思うのですが、変な話、そんなヒット曲は世の中に腐るほどあります。ラブソングという観点でも、<Heartの字幕 孤独(ひとり)にしといてなの>と、どちらかというとドライというか、ラブソング特有の切なさとか感傷的なものは、ここではなにも描かれていません。ただただ、そばにいるだけでいい、そんな時間を過ごせることが幸せ、そんな何げない日常のひとコマを切り取った恋人たちの風景。その根底には、さらりと男女が対等の立場にあって、かつ日々の生活に疲弊している側は女性であり、男性がそれをサポートしているという、今では当たり前のような男女関係の姿が、この平成が始まって間もない時代にちょうどマッチした。さらに、それを柔らかくフワフワと漂うようなボーカルで真理子さんが歌い上げたというのが、より "ZUTTO" の存在価値を引き上げたのではないかと思うのです。

それにしても、窓ガラスにソファが映るような部屋(高層マンションの上階と思われる)で、一度はエスプレッソってやつを飲んでみたいですね。

5th AL「Catch Ball」(1990)

放物線の先にあるもの

ポップソングに対して、文学的なアルバムであると言ってしまうと、ちょいと堅苦しいかもしれないのですが、あえて断言させてもらいます。永井真理子の5枚目のスタジオアルバム『Catch Ball』は文学であります。リアリズムに徹した私小説であります。村上春樹的に語るなら、社会に対してのデタッチメントをコミットメントへと移行すると言いますか、膨れ上がっていく現実と折り合いをつけるための処方術とでも言いますか、そんな11のショートストーリーが寄り集まった作品なのです。

佐野元春氏が "White Communicatin-新しい絆-" で<I've got a White Communication 君に会いたい>と散文的に語り、陣内大蔵氏は "好奇心" で<好奇心はとまらない 君のこと知りたい>とモダニズム的に希求心を見せたりする。表現の違いはありますが、どちらも同じように他者へのコネクトを猛烈に求めていて、本人作詞の "23才" でも<誰かと出会いたい 苦しい出会いでもいいよ>と、ここでも他者へのリレーションシップが求められているのです。それは真理子さんがいよいよマスデモクラシーの中心へ飛び込んでいくことを腹に決めた現われでした。その覚悟を象徴するのが "ミラクル・ガール" であり、テレビアニメの主題歌という、それこそメディアのど真ん中に身を賭していきます。その結果は、みなさんがご存じの通りです。

また、ジャケットにあしらわれているグラフィック・シンボルが象徴するように、このアルバムでは具体的な「生活」が多くの楽曲で描かれています。その背景にはバブル時代のOL文化というものが見え隠れしてくるのですが、それでもまだまだ女性の社会進出が間もない頃のお話で、煌びやかに見える都会の暮らしの影では、なかなか表には見せられない寂しさや報われなさが、靴の中の小石のように居心地の悪さを助長していたりしました。"Way Out" での<出口はいつも見えない 探し始めたとき見つけ出せる>や、"キャッチ・ボール" の<涙の理由(わけ)に素直になれば 新しい>、"レインボウ" の<わけもなくつらいとき 知らんぷりしてちゃ 忘れ物していくよ>など、女性に限らず、社会の厳しさに揉まれ疲弊している人たちへのエールが、アルバムの随所でそっと贈られているのです。それは歌い手である真理子さん自身への投げかけでもあるのです。

Catch Ball

Catch Ball

  • 永井 真理子
  • J-Pop
  • ¥2139

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